外国人のプレゼン資料は文章主体である理由

なぜ、日本人のプレゼン資料が海外に伝わらないのか? - 永井孝尚のMM21 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]
http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2007/08/post_c46c.html

文化的背景が異なる人々から構成されている欧米社会は、ローコンテキストコミュニケーションの社会です。つまり、暗黙知の共有度が低く、形式知によるコミュニケーションが主体に社会です。このため、ロジックが明確であることが重要であり、文章でロジックを記述する方が伝わることになります。

グローバル化が急速に進む現代、このコミュニケーション・スタイルは世界全体で共通であると思います。

一方で、日本はハイコンテキストコミュニケーションの社会です。つまり、我々はお互いに暗黙知を共有しているため、ドキュメントで凝った絵が何枚も続いても、その絵の間のロジックを読む側が補完できます。そのため日本人同士であれば伝わります。

一方、欧米人とはそもそも暗黙知が共有できていないため、凝った絵が何枚も続くと、欧米人はその間の意味が日本人同士の時のように補完できません。従って理解できないので意図が伝わらず、相手も動かない、ということになります。

何回か国際会議に行った経験があるんですけど、海外の人 (欧米の大学から来た人)は、「文字ばっかの発表資料を使っていて」かつ「口頭発表が主体で資料はあくまでもおまけ」っていう感じの発表をよく見かけたように思います。

んで、一方、日本人の方は「文章は書かず絵で見せる」かつ「資料に重要なとこを書き、口頭は補足中心」という感じのような発表が多かったような・・・・・

コミュニケーションの文化の違いなんですね。